どうしても見てみたかったアンコールワット。
早起きして、朝焼のタイミングに訪れて。。。
ヒンドゥー教の寺院として建立され、後に仏教寺院にチェンジしていく段階で
ヒンドゥーの神が仏像に変えられていたり、
そこかしこにMIXされているその宗教感覚に、
いろんな想いを馳せつつ院内を歩く。
ヒデはどうしても見たかった、乳海撹拌のレリーフに夢中。
踊るアプサラ。
ポルポト、クメールルージュの爪痕の
顔の無い仏陀。
どこまでもつづく回廊。
空高くそびえる中央塔。
それは古代インドの世界観の中で全ての中心にそびえるメール山を表現しているのだれど、
これは仏教にも須弥山という名前で共有されていて、、、。
そういえば先日訪れた奈良の天川村にも弥山という山があって、
そこは日本の修験道のメッカ。
神仏が一緒にあがめられ、土地の宗教と仏教が密接に結びついている場所。
天河神社の七夕の神事に参加したのだけれど、
そこでは神主さんがお経を読み、そのそばで雅楽か奏でられていて、
お地蔵様も奉られている。mix感。
不思議だな、と思ったけれど、
いろんなモノとコトがmixされることによってその土地にfitすることが何より大切だな、と
すごく腑に落ちた。
今回カンボジアを訪れて、
インド、ネパール、中国、インドネシア…日本
と、宗教の伝播とともに形成されていった、
自分のどこか奥底にあるルーツにもリンクするための旅のように思えて、
それはそれはとても印象的な体験だった。
普段意識しない自分の倫理観や、考え方にしっかりと根を下ろすものが何なのか、
少し、理解できた気がした。